例年2月ごろに防衛医科大学校の合格発表があります。
今年(2023年)の発表はすでに終わっています。
しかし、うちの息子の合格が決まったのは3月下旬、着校日まで約1週間というまさギリギリのときでした。
というのも2次試験は補欠という結果だったため、通知を受けてからずっといつまでとも知れない繰り上げ合格の連絡待ちをしていました。
わたしが経験したのと同じように不安な日々を過ごしている人がいるかもしれないと思ってその時のことを書きます。
突然の受験許可願い
長男と次男はともに工業系の国立高専=高等専門学校の学生でした。
家から学校までは離れているので寮生活。
高専は5年制で、卒業すると短大卒業資格がもらえ、就職か進学(大学に編入等)かという進路が待っています。
当時長男は5年生、次男は3年生で、次男も5年生までしっかり勉強するんだろうと思っていたところ、突然電話が。
自衛隊の大学受験するけどいいよね?
え?突然なに?
願書の締め切りあるから即答お願い
まさかの寝耳に水状態です。
高専に入学してから今まで一言もこんな言葉を聞いた覚えがありませんでした。
聞けば締め切りは1週間後。
話し合いをすることなく無理やり許可を出さざるを得ない状況でした。
夫はエンジニアで長男と次男が工業系の高専に入学したことを喜んでいたので、将来は同じエンジニアの道を歩むんだと思っていたのでしょう。
突然の報告に戸惑いと怒り?複雑な心境でいたようでした。
実は息子は小学生の時、看護師になりたいと言っていました。
同時に自衛隊に入りたいと希望していました。
その二つの夢をまさかここで叶えようとしていることにビックリしましたが、正直納得する部分がありました。
1次試験まで
息子が受験したのは防衛医科大学校の看護学科です。
願書締め切りから1次試験までは約10日ほど。
受験を決めてから試験日まで1カ月ないぐらいだったと思います。
受験要項はこちら↓です。
試験科目のひとつは履修していない科目だったため、ゼロからの学習でした。
そのほかにも高専は特殊なカリキュラムになっているため、学習範囲がかなり違っていたようです。
息子曰く、試験までの間、一生のうちに一番勉強したと言っていました。
友達にも恵まれ、この間集中して勉強できるように寮でいろいろとサポートしてもらったみたいです。
オレ、一生の中でいちばん勉強したわ
じゃあ大丈夫だね
あとは自信をもって当日を迎えてね
普通に考えて、履修してない科目の受験は無謀です。
しかも時間がない。
せめて半年ぐらいあれば取り組み方は違ったかもしれません。
学校の休みの間に書類の記入が必要だといっていったん家に戻ってきたりしていましたので、受験勉強期間中はバタバタでした。
このあともギリギリ生活は続きます。
1次試験合格と2次試験
地本(自衛隊地方協力本部)の方に相談したりしながら、急ピッチで自己学習を進めていたようです。
手ごたえはあまり感じていなかったと後から聞きました。
そんな中でつかみ取った1次試験の合格通知。
発表されるとすぐ地本の担当の方から直接本人に連絡が入りました。
親から見て、この状況の中でよく合格できたなと思いました。
ラッキー問題が結構あったと言っていたので、そういうラッキーを引き寄せることも本人の力のうちかなと感じました。
この時はこのまま2次も合格するかも、と軽く考えていました。
2次試験は口述試験及び身体検査です。
勉強に関することはもうないのだと思うと、残る心配は目のコトでした。
視力が極端に悪く「両側の裸眼視力が0.6以上又は矯正視力が0.8以上であるもの」という基準を満たせるかどうか。
ここでも急ごしらえでメガネを作り直して2次試験に備えました。
そして、ここでも持ち前のラッキーを引き寄せる力で面接はうまくいったようでした。
しかし、このあとも何とも言えない日々が続くことになります。
2次試験結果
10月に1次試験、11月に2次試験が行われ、2月にようやく合格発表となります。
通常の大学の入学試験だとそれほど待たずに発表されますので、この期間はだいぶモヤモヤしてました。
親として子どもの希望どおり合格してほしいと願っていました。
高専3年生での受験だったので、不合格であれば4年生に進学するという話し合いをしていました。
言葉にすれば一言ですが、親子それぞれの葛藤があり、この結果に至るまでにはたくさん時間がかかりました。
合格発表の日はWebでチェックしたのですが、残念ながら子どもの受験番号は確認できませんでした。
これで今回の一件は終わりだなと思っていたところ、しばらくして地本から連絡があり、学校からも封筒が届きました。
開けてみると補欠の文字。
まだ望みがあるのだと喜ぶ半面、これからも続くモヤモヤ期間が終わることはないんだと複雑な気持ちでした。
繰り上がり連絡待ちの期間
合格発表後、辞退者は速やかに学校に連絡することになっています。
ほかの大学を受験する人はその結果が出てからの連絡になるわけですが、おためし受験の人も中にはいるため、辞退者は少なくありません。
辞退者が出て欠員が出ると補欠者へ合格連絡がくるということになります。
2次試験で問題がなければ1次試験の結果によって点数が高いほうから合格になると聞いています。
補欠者の順序もしかりだと思います。
息子が繰り上がり合格待ちのどのくらいの順番なのか気になりましたが、そういった情報はまったくありませんでした。
毎年何人ぐらい合格連絡があったのかネットで推測されていますが、真偽のほどはわかりません。
何の連絡もないまま3月に入り、春休みになりました。
休み期間になると寮が閉鎖され、家に戻ってきました。
合格したらできないからと言って毎日のんびりと過ごす日々。
この時はなぜか余裕があったように思います。
3月後半には友達と予約していた合宿免許を取りに行くことになっていました。
教習期間は3/30までだったので、この間に合格通知きたらどうするんだろうと思いつつ送り出しました。
早い人は2月中から補欠繰り上げ合格通知が来ていると情報があり、気が気ではありませんでした。
本人も心配だったと思いますが、親のほうがいろいろ心配しちゃうんですよね。
3月も後半にさしかかり、さらにモヤモヤ感がヒートアップしてきました。
ようやく合格連絡
3月20日を過ぎ、もはやこれまでと覚悟を決めつつ、31日まではギリギリ合格の可能性ありとの都市伝説とも言えそうなネットの情報を頼りに不安定な中で毎日をすごしていました。
合宿中、すぐには電話に出られない時があることも心配でした。
これも都市伝説かもしれませんが、大学からの電話に出られないと次のひとにまわってしまうという情報があったからです。
実際はそんなことはなかったです。
というのも、教習中に大学から電話がかかってきて不在着信になっていたようです。
すぐに折り返すと問題なく対応していただけました。
この日が彼の合格発表日となったわけですが、着校まで約1週間というときでした。
本当にギリギリでの通知です。
そして、ここから最終スパート。
高専の先生とのバトル、手続き時間がない、準備品が用意できない、などバタバタ祭の始まりです。
とは言っても合格という大きな安心感がありましたのでひとつひとつクリアしていきました。
本人は合宿中で動けないので母(わたし)が活躍するしかなかったです。
防医大へ行ってしまうと就職と同じでわたしたちの手から離れ自分で生活することになります。
それを思えば、わたしたちに出来る最後の息子への仕事かもしれないと感慨深く、仕事も休み、最大限彼のために動きました。
持って行ったのは夫のおさがり小さめのキャリーケース。
ちょうどこんな感じでした。
いろいろと間に合わせで準備し、別れを惜しむ間もなくバタバタと着校していきました。
防衛医科大学校の補欠合格における都市伝説はいろいろとあります。
過去には着校日を過ぎて連絡がきたとか、入学式のあとで連絡がきたとか。
どれも信憑性に欠ける情報なので本当にそんなことがあったのか疑問です。
ただ、3月末という時期になると、ほかの大学に合格が決まっている方は進学のための準備を進めていたり、浪人覚悟の方は予備校の手続きが終わっていたりと、今さら補欠合格の連絡がきても…という方もいるようです。
まとめ
息子と同じ境遇の方はあまりいないかもしれませんが、繰り上がり合格を待っている方はそれなりにいらっしゃると思います。
みんなが合格になるわけじゃないけど、こういうパターンもあるということを伝えたいです。
今は不安しかないかもしれませんが、数少ない情報の中で少しでも気持ちが軽くなってもらえたらうれしいです。
それがこの記事を書いた理由でもあります。
もしも何かわからないことがあって、わたしがこたえられることであれば問い合わせからご連絡ください。
大学からの連絡を待っている方に少しでも早く通知が来ますように心から願っています。
防衛医科大学ってどんなところ?と思ったら下記記事ご覧ください。