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顎変形症 手術しました

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顎変形症手術しました

このたび長年悩まされていたアゴと決別し、新たな人生を歩むことを決意しました。
手術は大変ですが、今後の人生はきっといい方向に向かうに違いないと信じています。
実際に体験した手術と入院経過をまとめます。
これから手術をしようか迷っている方、手術待ちの方の参考にしてもらえたらウレシイです。

目次

手術までの道のり

今回の手術は上下の顎を切って金属のプレートとボルトで留めるタイプ。

手術名:上下顎同時移動術
(上顎:Le Fort 1 型骨切り術、下顎:下顎枝矢状分割術)

顎変形症では一般的なものです。
手術の目的は『咬合の改善』です。

この手術を受ける前段階として、マルチブラケット等装着し、術後の歯の位置や並びがよくなるようにする必要があります。
これは術前矯正というものですが、この期間は人により長さが変わります。

わたしの場合は、ブラケットをつけてから約2年の月日がたっていました。
矯正の先生から手術OKの連絡を受け、手術は地元の医療センターで。
さらにはこの土地の事情もあって、医療センター、総合病院、矯正歯科の三つをまたにかけ、術前はその三か所を行き来しました。
内容は検査や説明や診察やいろいろ。
でも、与えられたことをそのとおりにやるだけの期間なのであえて細かい検査についてはここでは触れません。

手術が決まればあとはそれに向かうだけです。
不安はありますが、準備するもの、術後経過の流れ、いろいろ調べました。
この期間はひたすら不安でした。
実際にどのくらい痛いのか、顔はどのぐらい腫れるのか、体はどうか、、、体験したことがないことばかりなのでほかの人の体験記を読むことぐらいしか情報がありません。
少しでも不安がなくなるようにと思って必要な情報を集めました。

人によって受け取り方はさまざまだと思いますが、一般的に言われている「術後は地獄」というのは半分本当で半分間違いかもしれません。
ここではそのことをわかってほしくて記録を残します。

貯血について

術前検査については決められた手順にのっとってやっていくだけです。
そのうち献血については少しトラブルというか、注意するところがあるかなと思ったので書いておきます。

貯血は400mlを1度にとりました

手術の2週間前ぐらいに貯血するよう指示がありました。量は400ml。
これは体重50kg以上の成人が献血する1回あたりの最大の量らしいです。
それ以下の体重の人は200mlとか。
詳しくは東京都赤十字血液センターのページを参考にしてみてください。
わたしの場合は一気に400mlとりました。

今まで採血で気分が悪くなっていたため献血したことがありませんでした。
それなのにいきなり400mlは結構大変でした。
貯血するときにふらつきが出たり、気持ち悪くなったりされる方が多いそうで、貯血後は車いすで安静にできる場所まで移動するようになっていました。
わたしの場合は貯血するときもその後も元気だったので歩いて戻りました。
その日は確かに元気で何の変化もなかったのです。

でも、次の日あたりから様子が変わってきます。
なんかだるいんです。いつも眠いけど、それ以上に眠い。
仕事中に何度か寝ていたかもしれません。

貯血というのは血液中の栄養分や水分を持っていかれるので、貯血前よりも血が薄く?なるみたいです。
一般の献血では数か月たたないと次の献血ができないルールがあるそうで、それがもとの状態に戻るまでの期間ということかもですね。
今まで献血したことなかったので知らなかったのですが、夫は何度も献血してよく知っていて、いろいろアドバイスをもらえました。
献血後はゆっくりすごしてたくさん食べて血を作るんだって。

献血したあとは元の状態に戻るまでたくさん食べて体を休めるんだよ

そんなもんかと思いつつ、以前とは違う自分の体調に気遣うようにしました。

ここでの貯血がのちにまたわたしの体に戻ってこようとは思ってもいませんでした。
手術中に出血が400mlぐらいあったとのことで、自分の血液を輸血しました。
貯血で失われた血液についての体験があったので、逆に安心したように思います。
もし輸血がなかったらあの時のだるさがまたやってくるのかと思うと本当に良かったと思いました。

いざ出陣

入院は手術の前日でした。
この日は普通食のご飯が出て、これが本当の最後の晩餐でした。
決して豪華ではなかったのですが、普段自分で料理しなければならないので、勝手にあたたかい食事が出てくることが単純にうれしくて、ありがたかったです。
何が出たかよく覚えていないのですが、まあおいしかったです。
あと、何もしなくていいっていうのもいいですよね。
主婦はいろいろ忙しいですからね。
休める時は休みたい!

なにもしなくてもあたたかい食事が出てくるだけで感動!

手術は朝8:45からです。
夜は21時から絶食。
朝は6:45まで水分OK。
病院の夕食を食べたあと、ひとりコンビニで買ってきたスイーツとポテチを21時近くまで堪能していました。
これからしばらくはポリポリできなさそうなんで、なんとなく最後に食べました。

ミルクレープ

朝になって手術着に着替え、弾性ストッキングという長い靴下をはいて準備しました。
ここで間違いが。
手術着の下って基本裸でしょって思うじゃないですか。
でもね、首から上の手術なんで下着とズボンをはいてくださいって言われたんですよ。
お胸は使い捨ての手術専用ブラ(110円)を売店で買ってきていたのでそれはOK。
まさかズボン履いていいって思ってなくて。

術後はきっとバルーンが入るんだろうしって思っていたから履く必要なくないって思いつつ、まあ履いてるほうが安心かなと思いました。
実際、術後はバルーン入って、わたしの下着とズボンはどこへ行ったんだって思ってました。
(結果夫が持ってたんですけどね)

それと、「手術に行く前は荷物を全部まとめてください」って直前で言われてさらに焦りました。
このときすでに8:30をまわっていたから。
全然聞いてないよ~って。
時間がなくて、荷物の整理は看護師さんがやってくれるって言うので、とりあえず貴重品だけ持って手術室に向かいます。

もうバタバタ…
こんなんで大丈夫なのかな~?

途中でダンナさんに会って貴重品を預け、一言二言かけて手術室へ案内されました。
もうこれでわたしは手術からは逃げられない。
テレビで見るような手術室に案内され、小さめのベッドに寝転ぶように言われ、ドキドキは最高潮に。
たくさん先生がいらして、看護師さんもいらして、麻酔の先生とあいさつして、まだ眠くはならないよって言われながら点滴ルート確保して、、、ドキドキしすぎて何が起こっているのかわからないぐらいになってきた。
なんなら早く眠らせて欲しいぐらい。
先生とも言葉を交わして、いろいろ体に貼り付けて、眠くなる薬を入れていきますよって言われてしばらくして眠ったと思います。
緊張していたからなのか、手術室に入ってからの記憶があいまいです。

術後すぐ

手術が終わって気づいた時にはHCUの部屋にいました。
もうろうとしているっていうか、とにかく眠い。
でも、夫に荷物のコト言わなきゃっていうのがあって、洗濯ものだけ持って帰ってもらいました。
後で聞いたら、このときわたしが訴えていたことはほぼ聞き取れなかったそうです。
自分ではものすごく必死に伝えていたつもりだったんですけどね。

痛みなく、気持ち悪さもなく、体がどうなっているかもよくわからず、ただただ眠い。。。
先生が来て「あと数時間したら酸素マスクとのどのチューブとれるか見に来るね」って言い残していったのはようやく覚えているぐらい。
このあとは眠る、起きるの繰り返しでした。
起きる要因というか、どうしても起きてしまうのは原因があって、ノドにタンがたまっちゃうんですね。
これがたまると息ができない感じになって、タンを吸ってもらわないと大変なんです。

息できないって
これが地獄の始まりね

しばらくは看護師さんがやってくれたんだけど、回数は多いし、いちいち呼ぶのも大変だから、自分でやることになってしばらく悪戦苦闘。
なんとかタンを吸いつつ寝たり起きたりしていました。

みなさん、この時間がしんどいって聞きます。
確かにツラい時間ではありますが先生から「この手術では死にません」と言われていたので、そこは自信があって、とりあえず眠れたら眠ろうって思って過ごしました。
もともと不眠症っぽいというか、寝たり起きたりっていう状況は日常生活で結構頻繁にあって、こんなもんかなって思いながら、ただ眠いことがありがたかったです。

HCUから一般病棟へ

術後に入っていたいろんな管が順番に取れていきました。
鼻からのチューブ→酸素マスク→バルーン。
自分の状況よくわかってなくて、どんな管がどんなふうに入っているか全然わかりませんでした。
何しろだるい。体の感覚もない。

術後すぐ。顔全体腫れ。唇もたらこ。

写真は閲覧注意。
多分どんな顔の人もこんな感じになると思います。
フェイスラインは腫れるのでサポーターで覆っていて、さらに中に保冷剤を入れてます。
熱もあったので氷枕で冷やしたりしました。

バルーン抜くのしんどいっていう人が多いですが、わたしの場合はあまり気になりませんでした。
「トイレいけますっ」て思ってましたので、取れて安心しました。
抜去したあと部屋の中を歩き回ってちゃんとトイレにいけるか確認がありました。

口から出ている2本の管を残したまま、問題なく一般病棟に移りました。
このときお土産のようにエレンタールという食事がついてきました。

激マズ エレンタール

手術から1日たってもあまりお腹はすきませんでした。
でも、栄養を摂るのも治療への道です。
口で咀嚼することはまだまだできないので飲む以外ないのです。
そこで登場、エレンタール。

激マズエレンタール

経口栄養剤ですね。
ペットボトルに粉が入っていて水で溶かして液体にします。
フレーバーが10種類ぐらいあって好きなのが選べます。

エレンタールのフレーバー

え~、ジュースみたいなのかな?
おいしいといいな~

ジュースの気分で吸い飲みに液体を移し口に運んでみました。
うっ、げ、激マズです。
よくもこんなにまずいものが作れたなっていうぐらいのマズさ。
看護師さんイチオシの青りんご味をフレーバーで入れてみたんですが、確かに青りんご感ありますけどね、もう無理レベルで不味い。
看護師さん、あなた飲んだのね、これ。尊敬しますわ。

げ、激マズ・・・
どれだけ飲まないといけないのかな、コレ

飲まないとよくならないし、次の食事のステップにも進めないと思って、本当に少しずつ、飲んでいきました。
とは言ってもごくごく飲める状態ではないので、ストロー、吸い飲み等でのどの奥に流し込んでいくのに少量しか無理でした。
あとは気力でエレンタール期間2日間を乗り切り、ようやく流動食へと進むことができました。
ごはんらしきもの、おかずらしきもの、具ナシの汁。
それだけで感動すら覚えました。

エレンタールは1本あたり300kcalで、わたしは1日3本、900kcal分処方されていました。

吸うことが上手にできなかったので、100円ショップドレッシングボトルが活躍しました。
・容器を逆さにしても出てこないからこぼれない。
・飲みたいときは逆さ状態で容器をギュッと握ると出てくる。
手術後には吸い飲みより優秀ですよ。

ドレッシングボトル

空腹のピーク

術後2日たったところで空腹が出てきました。
おなかがなりまくりで、夜中もお腹が空いて寝れないほどでした。
食事として出されているエレンタールは飲みたい感情はゼロでしたが、空腹を満たすため飲んでいたと言ってもいいぐらいでした。

その後流動食が始まって感動したものの、全部液体。
カロリーはわかりませんが、消化に良すぎるせいか、やはりすぐ空腹に。
我慢できなくて、飲むヨーグルトを隠れて飲んだりしてました。

ミキサー食

病院の夕食は6時ごろ。
朝までの時間が長すぎます。
おなかすくに決まってる。
まあおなかがすくってことは回復している証拠ではありますが。。。

一般病棟から転院

手術した病院は高次医療機関なので長くは入院できません。
そのためある程度落ち着いたところで別の病院に転院になります。

そのとき、ここからが本当の療養期間の始まりなんだと腑に落ちました。
体もその時よりも動くようになるだろうし、食事ももっと形あるものが出てくるかもしれない。
スマホやタブレット、パソコンもやる気が起きるだろうと胸躍りました。
それまでは体がしんどいっていうのがあって、そういったものに触れたいと思わなかったんですね。

ここから入院生活をかみしめ、一切家のことをしなくていい自由な時間が始まります。

キザミ食へ

念願の食事の格上げ。
少しは何を食べているかわかるようになりました。
メニューは書かれていないので、ごはん、肉、魚、野菜ぐらいしかわかりません。

献立

病院内を歩いているときに見つけた献立メニュー。
これでようやく何を食べているかわかります。
一番わからないのは野菜でした。
あとはマーボーナスは見た目でわかりませんでしたね。
すべて「・・・ぽいもの」って感じでした。

入院生活の突然の終わり

先生からはだいたい2週間ぐらい入院するよって言われていました。
そして、わたし自身、早々に家に帰るのは不安があり、なるべく長めに入院したいと思っていました。
このまま数日過ぎると思っていた矢先、いきなり展開が変わります。

主治医と退院日を相談していたところ、なるべく早く帰れとの指示が看護師さんから告げられます。

急展開過ぎる~!
もっといさせてくれ~

病棟でコロナ患者さんが増えていて、このままここにいると危ないんですよ

理由は、数日前から病院全体でコロナ感染者が増えてきたため。
すでに病棟では面会不可になっていました。
同じフロア内でも奥側に壁ができて、立ち入り禁止になりました。
そう、そこから先はコロナ患者さんたちが入院しているところです。

こんな状況の中、数日後に大部屋へ移動が決まり、そうなると高確率でコロナに感染してしまうと。
感染したらさらに入院期間が延びていつ帰れるかわからない状況になってしまうって。
家に帰って安静にしたほうがいいよって言われました。

大部屋での療養でもいいと思っていたのですが、さすがにこの状況では無理だと判断し、泣く泣く退院することに。
この通知があった次の日の退院が決まりました。

普通は午前退院だそうですが、無理を言って夜ご飯を食べてから退院にしてもらいました。
家では自分でご飯作らないとないから、せめて退院日だけはご飯の用意しなくていいように。

まとめ

これから退院し、長い療養期間になります。
きっとすぐに時はたってしまうかもしれませんが、まだ唇や顔回りは腫れているし、誰にも見せられません。
体も無理はできません。
果たして家でゆっくりできるのか不安です。

今後の経過もお話できるようになるといいなと思います。
次回更新をお楽しみに。

スタエフで配信してます

手術後からの状況とか顎変形症にまつわることをスタエフで音声配信しています。
よかったら聴いてみていただけると嬉しいです。
よろしく~!

★stand fm★
わたしが好きな自分になろう! ♯1

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